戦国武将と現代企業の経営リ-ダ-(その4)

■前回までの連載「その1,2,3」では;

筆者が当代随一と信じる戦国武将「立花宗茂1567~1642年」を題材に戦国武将のリーダーとしての素養や資質について検証しその生き様についてご紹介しました。これらは現代企業の経営トップとしても備えるべき重要な資質であり教訓として認識すべきことと思います。 昨今の企業経営では経営スキルや手法ばかりが先行し、組織を構成する人間や人心への視点が欠落しているように感じられる気がします。今回は家臣や領民を愛し、厳格な中にも人間性豊かで人望力を兼ねそなえた猛将「立花宗茂」のリーダーシップや資質について史実に残っている具体的な事象をもとに検証してみたいと思います。立花宗茂の人物伝は小説の題材にもなっています。近年では戦国合戦ゲームや漫画のヒーローとしても取り上げられていて、若い世代はゲームのキャラクターとして立花宗茂の名前を知っているようです。

今回の連載「その4」そして次回連載予定の「その5」では、多くの史実の中から6つの事例としてご紹介いたします。

■事例1 信義を貫く一貫性のあるリーダー(立花宗茂21歳:1587年)

 立花宗茂は、豊臣秀吉が九州制覇をめざして攻め込んできたとき、既に豊臣秀吉軍側についていたが、この決断に当たっても主君大友家を裏切っての敵側への寝返りではなく、大友家の方が先に秀吉軍と和睦しながら、反秀吉の土豪を集めて立花宗茂を攻めるという不信行為があったから、逆にこれを打ち破り、それを手土産として豊臣軍に加わることとしました。以降彼は秀吉旗下の有力武将として忠勤に励みました。九州薩摩を本拠とする島津軍攻略に際し、宗茂はその豊臣秀吉から先陣を命ぜられ、途中の障害となる和仁彈正を攻略しなければならなくなりましたが、以前から親しかった彈正の人物を認めていた宗茂は豊臣秀吉との和睦の仲介を確約し、その約束通り秀吉の攻略より和睦をと直訴し拒否されたものの、それに屈して引き下がらず、彼は「それでは自分の武士としての面目が立たないから、自分を殺してからにしてくれ」と強く主張し、遂にこれを認めさせたという。何らの借りも恩義もない和仁彈正氏のために、自分の命を賭してまで信義を貫いたあたりは、若干21歳とはいえ立花宗茂の面目躍如たるものがある。組織をまとめる若き武将として一貫性のある生き様は配下の武将だけでなく周囲の武将にも信頼を集めたようです。

■事例2 清真かつ高潔な人間性をもったリーダー(立花宗茂32歳:1598年)

 秀吉の命により朝鮮侵攻に参戦した折りにも、彼がいかに義理を重んじる特異で傑出した武将であったかを証明する事例が残っています。朝鮮に遠征した1598年の「慶長の役」の最中に秀吉が死去し、明の大軍参戦もあって苦戦していたので、これを契機に全軍が停戦し引き揚げることになった。この時点で秀吉の命により総勢十数万人の大軍が朝鮮半島に派兵されていました。しかし撤退戦は攻略戦より困難とされ、各将の部隊は引き揚げを競ったが、敵地深くに攻め込んでいた小西行長軍だけが取り残され敵の猛攻で全滅寸前の苦境に立たされた。この救済をどうするかと首脳会議が開かれた際、被害を少なくするためには仕方がないから、小西軍を見捨てて撤退しようというのが大勢の意見であったが、宗茂一人だけは猛烈に反対し、「危険は承知でも仲間を見捨てて逃げ帰るとは、武士として恥ずべき行為だ。俺一人でも救援に行く」と主張して譲らず、結局この宗茂の気迫に負けて全軍が救援に向かうこととなり、そのお陰で小西行長は無事脱出することが出来たという。 自分の生命よりどこまでも武士としての筋を通して是非を決断したのである。このとき立花宗茂はまだ32歳でした。

 またこの役での活躍ぶりを考課し上層部に報告する戦目付の石田三成が、良きに計らうからと、暗に賄賂を要求したことに対しても、彼は武士の本分に従って全力を注入し戦っただけであると手柄を誇示せず敢然とその要求を拒否し、石田三成を赤面させたという。一所懸命という語源が示すように領地安堵や拡大、自分の立身出世のために戦う武将が多かった時代に、いかにも宗茂らしい実に潔い生きざまといえます。 

 現代の企業経営において近年、特に叫ばれているCSR経営を標榜している企業が多いが、トップ自らの強い意志のもと社会的責任を真に実行しているかどうかは怪しい気がします。もともと大企業であればあるほど社会に対しても清真で正義を重んじ社会的責任を果たすのは当然であるはずです。

 しかしながら大企業の経営者の中には道徳的な意識が欠落し、短期的な利益を追い求めることだけを最大目的にするような経営トップも存在するように感じます。それが現代ビジネス社会の価値観かもしれませんが、利益のためには手段を選ばず謀略や汚職に走り、不正な手段やアンフェアな行動を従業員に強いてお客様をも欺き、ひいては企業を崩壊へと導くような経営トップも見受けられます。企業という大きな組織体を正しい方向に導き、責任ある意思決定をすることが経営トップに求めれられる資質のはずです。ここでも立花宗茂の道徳的な清真さ、意思決定の一貫性には見習うべきものがあると思う次第です。

■事例3 思いやりや公平を重んじるリーダー(立花宗茂34歳:1600年)

 天下分け目の関ヶ原合戦(1600年)では、豊臣秀吉の引き立て恩顧に報いるため当然西軍に組しましたたが、京極一門が篭城した滋賀県の大津城攻略の任を果たし、いざ関が原合戦へという時点で西軍敗北の報を聞き、やむなく大阪城経由しながら九州へ向け、船で帰還の途につくこととなった。過去に高橋紹運(宗茂の実父)は島津軍3万数千人に攻められ実子の宗茂を守るために家臣800人とともに岩屋城(九州福岡県の太宰府市)に篭城し壮絶な玉砕をした経緯がありました。この時同じく敗走する島津軍の船と鉢合わせ状態となり、仇敵島津軍が僅か数十人の兵力なので、今が仇討ちのチャンスと進言する部下もいましたが、この時も「そんな敵の弱みに付け込む卑怯なことはするべきではない。そんなあさましい行為は長きにわたって恨み買うだけである。島津軍も今や我々と同じ豊臣方である。強い敵と堂々と戦い勝つことこそが武士だ」と頑として退け諫めたという。さらに島津義弘にたいして「昔の遺恨は少しも心にかけていない。今は我らと同じ境遇である。九州までの道中諸事、心を合わせたい」と言ったという。島津義弘も痛く感動して「帰国して篭城するなら是非加勢しましょう」と申し出たらしい。自己の利害・損得や出世より、常に義と理を先行して考えるのが彼らしい。現代企業のトップもいろんな場面で厳しい意思決定を強いられることもあるが、やはり目先の利益や自分の身の安泰を基準に判断しているようでは決して企業の永続的発展にはならないと思います。このような経営トップの軽薄な判断は従業員の心を引き付けることも到底期待できないし、真の協力も得ることはできないであろうと感じる次第です。

執筆者プロフィール

福岡県生まれ、(国立法人)九州工業大学修士課程修了。大手造船会社にて海外プラントの設計や海外現地調査、技術指導(主に東南アジア)、省エネルルギ対応。その後大手住宅機器メーカへ転身し、生産革新室長として工場の現場改善による生産性向上、IT化、海外生産拠点の計画、グローバル生産システム構築等に注力、その後独立開業し中小製造業の経営改善や事業再生の支援ならびに顧問、海外業務としてインドものづくり学校設立支援や海外産業人材育成協会(経産省)等での訪日研修、大学や各種機関での講師活動に従事。

野口隆 



神奈川中小企業診断士会